1336年、教傅という僧侶がおり、現在の福島県蓮華寺の住職を務めていました。教傅は友人と一緒に那須温泉に行くことにしました。出発の朝、母親が教傅の旅支度をしないで朝食を作っていることに腹を立てた教傅は、母親を罵り、お膳を蹴り飛ばして出て行ってしまいました。那須での滞在中、教傅一行は殺生石を見に行くと、雷鳴が天地を揺るがし、大地から火災熱湯が噴出しました。連れの友人は逃げおおせましたが、母親に酷い仕打ちをしたことで天罰を受けた教傅は、火の海に落ちて亡くなったといいます。
教傅のような親不孝をしないように願い、1720年に最初の教傅地蔵像(一番後ろ)が建てられ、人々が訪れるようになった。1975年には新しい像が建てられ、2つの小さな地蔵が隣り合っています。5月下旬に教傅の追悼式が行われています。